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8.172023

沖縄の茶の湯と僧侶喜安・・・8月17日は琉球料理の日

1534年に日本の茶道の作法と思われものが存在していたと思われます。冊封使・陳侃は『使琉球録』に、旧暦八月の中秋節に円覚寺に遊んだ時の事を、「茶の粉末に湯を注ぎ、竹の刷毛(茶筌であろう)でかき混ぜたものを飲んだが、その味が大変よかった」と記しています。この記述は、日本の茶道の作法と思われますが、この時期にはすでに日本式の茶道が沖縄にも伝えられていたことが伺えます。ただ、この時期の茶道は、千利休の開いた茶道とは異なるもののようです。

1600年に泉州堺生まれの茶人喜安入道蕃元が、千利休の開いた茶道を沖縄に伝えたとされています。喜案は、尚寧王に仕えて薩摩侵入の際には折衝にあたり、のちに『喜安日記』を記しています。また、特に茶道に秀でていたので、琉球王朝でははじめての茶道職に任じられて、死後も茶道職という役職は受け継がれていきました。

1667年、向象賢(羽地朝秀)の「羽地仕置」中の「覚」には,士族が嗜むべき 教養として12項目挙げられています。その中には「茶道之事」も含まれており,学問,算勘,算法などとともに士族に必要とされた教養であったことがわかります。

1677年には,首里城東方の崎山に御茶屋御殿が建造されました。このように、琉球王朝では千利休の茶道が受け継がれていました。喜安について 『喜安日記』 池宮正治解説 作者の項に下記の記述があります。

「『琉球國由来記』巻2「官職部」に彼がはじめて〈御茶道〉に命ぜられたことが記されている。喜安は境の出身で万暦年間茶人として尚寧に仕えたことは確かのようである。彼がなぜ沖縄に来たのか、茶道だけを広めるためにだけ来たのか、全くわっていない。彼が境の茶人だったとすれば、おそらく千宗易の門下だったと思われる。しかし、当時の茶会に彼の名は全く見当たらないとのことである。(中略)喜安はお茶をたしなむほどの人物ではなく、茶道の本場である堺の町に生まれ育ち、身近にそれを見聞きしていたといった程度のものと思われる。したがって、はじめから茶道をもって尚寧に仕えたかどうかは定かではない。」

喜安という人物がどのような人であったかは定かではないようですが、琉球王朝に茶の湯を広めた功績はたたえるべきだと思います。

文責 安次富 順子

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